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鳩のタマシイ


   2006年から記録を続けてきた
   鳩のタマシイ。
   日々のこまごまや
   3匹のこと
   美しいもの
   美味しいもの
   出会いと喜び
   そして何層にも覆われた
   タマネギの皮を
   とっぱらってゆく道の記録

   続けてきたこれら記録を
   読み返すことはほとんどなかった
   ここにこういったことを綴るのは
   綴ることに意味があったんだと思う

   言葉にはできない体験の連続を
   なんとか文章にかえてくことで
   体験は整理され、
   自分の内に消化、吸収されて。

   ただ、ここに書ききれない体験も
   ここ数年はどんどん増えていて
   それは文章にしずらいというより
   余りにも個人的な体験すぎて
   読まれることを前提に
   このブログを通して
   体験を整理することよりも
   まとまらなくても
   漠然としたエネルギーそのものを
   理解じゃなく、
   流れのままに
   静かにカタマリを吸収していく方が
   なんだか自然な気がして
   気づけばもうここに
   自分の個人的な体験を記録することの
   必要性を感じなくなって。

   2007年
   ゲリーに葛藤を手放す必要性を教えてもらい
   同じ年、如月マヤさんのセミナーで
   自分の魂の目的を知り
   アカシックレコードに
   初めて意識的に触れることができた

   そうして08、09、10年と
   自分を覆うあらゆるフィルター、
   それを形成する葛藤執着期待信念操作自己憐憫...
   もろもろもろもろと
   ほんとうにただひたすら向き合い続けて
   皮をはぎつづけてきた

   みないふりをし続けてきたものを
   あえて目の前につきつけるくらい
   がっちりそれらと向き合う作業は
   青汁を飲むのとにているかもしれない
   美味しさを楽しむために飲むのではなく
   体の中をきれいにするために飲む
   その味はただひたすら苦かったり
   へんてこでうえっとなったりね。

   けど飲み続けることの恩恵はすさまじかった
   どんどん、ほんとうにどんどん
   自分というのが、軽くなって
   自分がなにかをわかってゆくほどに
   自分がなくなっていった
   恐れは恐れではなくなり
   あるのは状況ではなく
   どんなときもフラットで広大な
   自由、そして知ってる。の信頼

   自分との対峙の過程
   そして限りないサポートの記録
   鳩のタマシイは
   更新は今日でおしまいにする。
   ここに記してきたような
   自分の個人的な体験は
   ツイッターの方で
   呟いてゆこうと思う

   そうして、これからは
   自分の体験を消化する目的ではなく
   spiritual reading
   NIJINOWA として
   新しいブログを設け
   セッションで出会えた方や
   にじのわのホームページに
   いらしてくださった方に向けて   
   アカシックから得た情報や
   集合意識の傾向と情勢
   ゲリー、マヤさんから受け取った教え
   自分の内に今響く真実など
   記事にしてゆきたく
   今まではおさえぎみだった
   確証なき目に見えない体験も
   これからはぞんぶんにばりばり
   ”記録”として残してゆこうと思う

   NIJINOWAの活動とあわせて
   言葉を外側へ向けて発信するということ
   今年は意識的に取り組んでいって
   その展開を体験してみる。
   未知を楽しむ。
   保守的で変化苦手な
   お牡牛座の性質、懐かしむくらいに。
   
   鳩のタマシイ、
   今までお越しいただいて
   クリックや感想伝えてくださったり
   ほんんまほんま、感謝でございます。
   ありがとうございます。



   Spiritual Reading
   NIJINOWA

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海のひと粒 革命
 

   世捨て人の気配がすると
   人から言われるだけでなく
   自分でもそうだなと思うところなのに

   自分が完全に、今以上に
   とことんどの場面や瞬間においても
   自分である、という状態を貫けば
   世捨て人からさらに進んで
   変人の気をまとうであろう
   けっこうな予感がしていた。

   今はわたしというのを
   だいぶ理解できるようになったけど
   理解できてる自分というのは
   結局はまだ、社会や人間関係という枠組み、
   入れ物である器こみのところてん、
   みたいなもので
   器がなくなれば、
   ところてんはぶわーっと広がり
   なんだかわからない状態になる。

   社会の中で、
   人と関わりをもちながら生きていく為のわく
   それをとっぱらい生きるというのは
   その人の目に自分がどう映るか。
   からも、完全に離れることで
   まだどんなときであっても
   完全にそうしては、生きてはいない。
   どこかで雰囲気や状況を見たり
   ルールや概念、自分を繕うことを
   第一に優先する生き方

   人との関わりにおいて
   バランス、調和、フラットさ
   そんな基準を第一にして
   そして自分が、
   社会のなかで、人の目の中で
   異質に映らないことを
   要所要所で
   これでもだいぶ、意識しながら
   自分を行う生き方をしてきた。

   でも、ここへ来て
   内側の声や思いに対し
   常に正直に
   そして表現することを
   人との関わり合いのなかで
   いかなるときも
   許していったとしたら
   そしたらこれからは
   どんな具合になってゆくのかを
   見てみたい気持ちが今
   勝ってきた。

   自分の本当を
   それ以外はなく
   それを隠さず
   ひっこめないで

   いっさいの遠慮なく
   どう思われるか関係なく
   ただでてくるままに
   自分の本当だけを
   表へ出し続けたとき

   誰かにはその自分が
   心地よくなかったり
   うっとうしかったり
   違和感として
   映るかもしれない
   そうは思われたくない気持ちが
   ずっと意識の側に
   がっしりとあった

   けど、
   もうそれでもいい

   もう、わくというか
   たがをとっぱらって
   ぶらぶら裸で
   世界を感じたくなった

   目と心に映るものを
   わきあがる愛、
   内に響く真実
   ただ全身全霊で感じて
   それを表現に還元する
   外へも内へも、
   いっさいをひっこめることなしに   
   瞬間瞬間を

   たくさんの人の必要に叶う自分でなくても
   その具合が、たくさんの人には
   心地よくないものであっても
   違和感を感じさせるものであっても
   そうして周りに人がいなくなったとしても
   それでもいい

   裸でいる自分を
   それでよしと
   そのまるまる自分を、よしとして
   そんななかでともに
   喜びや美しさをシェアできるひと
   たった一人でも、存在するのなら
   きっとそれこそが
   私にとっての、
   最大の幸せだから。

   その最大の幸せは、
   現実、今にあって
   家族、仲間、存在たち
   私の毒々しさものぐささネガティブさ
   でてくるままをさらけだしてもなお
   まるままをみつめ
   いてよしと、伝えてくれる
   本当に、本当に、ありがたい

   星の王子さまのなかでの
   ばらであり、星であり
   汲み上げたた水、が
   わたしには、在る

   きっとみんな、
   思っているよりも
   大丈夫なんだと思う

   自分の心が真実と感じていることを
   外側へ向けて、それを示す
   それが、相手を傷つける為の意図でなければ
   暴力以外のほとんどは
   表現してしまっても
   悪いことじゃない。
   誰も、悪くない。

   おかしいと腹から思ったら
   それを真剣に表情に出したり
   言葉にして伝えるのも
   とても愛しくなって
   抱きしめたくなったら
   抱きしめることも
   
   その人自身を知っている人は
   その人をその表現のひとつひとつで
   いちいち判断して、評価はしない。

   その人自身を知っていて、
   その人自身を愛している人は
   世界にかならず、かならず
   存在しているのだと思う。

   だから今自分はいるし、
   みんなここにいてるということは
   そういうことだと、思う。

   ありのまま全てを
   加減なく出しちゃったとしても
   きっとけっこう大丈夫なんだ。

   そうして生きて
   もしかしたら
   ひとりになって
   寂しさや虚しさやで
   ぜんぶが覆われることになったとしても
   シンギングドッグのように
   仲間を求めてお腹の底から心が吠えたとき
   自分の声が届く場所
   かならずにこの世界のどこか
   つらかってんって泣ける場所が、
   一緒にいれて幸せって笑える場所が
   必ずどこかに、みんなある。

   自分を隠さず出してくことの
   自由と喜びは
   うまくゆけば
   さらにばい
   相手との
   しんからのわかちあいをも
   可能にしてくれるしね。
   共鳴という、かたちで

   いかなる瞬間も
   響く真実をただ尊重し表明する
   どれだけリスクが大きくても
   踏み込む価値は
   きっともっと大きい

   内側、意識の中から起こす
   静かな大きな革命

   いざ。
   変人の道へ。
   心定まった。
   


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   珈琲屋さんのカウンター席
   紅茶を頼んで
   パソコンを使った勉強をしていたら、
   私の左側、隣の席に
   母と娘、親子らしき二人が座る。

   娘さんはベーグルを食べてる間、
   携帯をぼちぼちと触っていて
   食べ終わってからも、
   ずっと携帯の画面を見ていて
   その間、お母さんは
   本当に遠くを見る目で
   娘さんの横顔を見たり、
   手元を見たりしていた

   30分くらい座ってはった間
   ひとことふたこと、
   お母さん、娘さんに言葉をかけたけど
   ひとことの返事のあと
   そこから会話は始まらなかった。

   別に喧嘩しているからとか
   どちらかの機嫌が悪いとか
   そんな理由は特になく
   そうやって、
   一緒にご飯を食べていても
   会話をしないのが
   普通の状態であるのかもしれないことが
   でも実際はそれが普通になっている状況を
   あたりまえじゃなく感じているんじゃないんだろうか、
   特にお母さんの方、とか

   普段は他の席の人が
   どんな様子でも、
   そんなに気になることってほとんどないのに
   となりに座る親子のことが
   なんでだかもうただ気になって
   ついつい意識が向いてしまった

   お母さんと外食してる時間
   携帯に意識を向け続けた彼女の
   彼女が今いる目の前の現実の意味
   その希薄さが、
   私の中で、衝撃的だったのかもしれない
   
   誰かといっしょにご飯を食べたり
   ほっとお茶を飲んだりして過ごす時間は
   良い悪い関係なく、
   意識やエネルギーを使うもので
   そいった時間が
   人を今とつなげる
   今と意識をつなぐ為の
   日常に組み込まれている
   大事な、営み、というのかな、

   誰かといっしょにご飯を食べたり
   お茶を飲むという行為は
   その人の意識を
   今にしっかり根付かせて
   今を感じるという感覚を
   内側から発動させる為に
   大切な役割をもっているのだと思う

   食べるって、
   栄養の摂取や趣味や娯楽だけじゃなく
   そういう意味でも、大事な行為だ

   何を食べるか、は健康にも心にも
   密接にかかわってくるものだけど
   どういう気持ちで食べているか、も
   同じくらい大切に思う
   
   娘さんがお母さんや食事より
   携帯電話に集中していたのも
   たくさんのもろもろが重なって今にあって
   それは別にそれで、
   私がどうこう思い巡らすことでない、けど

   そのときの、お母さんの目は
   真横に娘さんは座っているのに
   彼女は別の場所にいることを
   表情からではわからないところで
   はっきりと映しだしていた
   
   目は語るというけど
   語るその言葉は、
   切なかった。
   


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11月21日


   どうしたってなかなか脱げなかった
   衣服でいうと下着にあたる
   ある感情のかたまり
   着ていることで得られる安心感こそ
   それを着続ける充分な意味があり
   自己のアイデンティティの一部として
   重要不可欠なポジションを担い続けてきた。

   けれども下着をつけ続けるかぎりは
   それは自分の素肌を覆い、
   肌を締め付け、
   それがないと落ち着かなくなる
   依存的な性質をおび

   だからわたしは
   それすらも脱ぎ捨てて
   完全にすっぱだかの状態で
   自分を体験したかった

   一度完全にすべてを脱ぎ捨てれば
   下着も衣服も身につける必要が特にはなくなって
   風も光も
   全身肌で感じられるようになるんじゃないかと
   そんなふうなイメージが、
   明確にあったから

   とにかく、脱ぎ捨てたくてしょうがないのに
   どうしても脱ぐことのできない
   最後の一枚と、
   11月21日の朝
   内側の世界の中で対峙した

   すこしも場所を譲る気配すら
   見せることのなかった感情の固まり
   それと向き合い、それに触って
   相撲をとるように、
   ごごごとエネルギーの動きがあって

   そうして
   それはしばらくして私のエーテルから
   天に召されるみたいに
   空の方へと上昇して、離れていって
   その感情の固まりから
   私はとうとう、自由になった

   ガイドの支援もあった
   私自身の覚悟もあった
   すべてが、この朝のタイミングに動員され、
   それが行われたことで
   私はすっぱだかになることができた

   その朝の爽快感は
   まさに裸になって光を浴びて
   なにも思考にひっかからず
   感情は無邪気に開かれて
   瞼を閉じると優しさがあふれ
   本当に自由で

   裸を通して得る皮膚感覚を
   私は存分に味わった
   
   
   
   

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満杯をこえたら


   お昼にお弁当売るバイトをしているお店で
   一週間だけ夜のホールに臨時で入ることになった

   ランチのときと夜の雰囲気はやはり違って
   お昼も楽しそうな様子、見ることできるけど
   お仕事が終わられたあとの
   サラリーマンやOLさん
   もうみんな緊張から解放されて
   ほっとくつろがれて
   お酒とお食事楽しまれている
   素顔のままの笑顔
   見ているだけで、嬉しく幸せになった。

   ホールの仕事はたぶん
   10年前してたラーメン屋さんのバイトぶりで
   動けるかどうか、怪しく思っていたけど
   実際始めてみると、変わらず楽しくて
   体久しぶり動かせて気持ちもよかった

   人間は動かなきゃいけないと
   動くといつも思うよね。
   動かないでいるとどんどん億劫になって
   動かない方撰んでしまいやすい。

   この日は4日間のなかで
   いちばん慌ただしく忙しい日だった

   だいぶお店が落ち着いた頃
   あがっていいと言われてお店を出て
   寒空の下自転車をどんどん漕いでいると
   いきなり閃きのような思いがぽんとおりてきて

   今月に入ってから
  「パートナーと出会い、関係性を築く」
   ということに関して妙に考える機会が多く
   自分の中で、必要性を感じていないわけでは
   まったくないし、
   むしろ誰か素敵な人いたらいいなぁと思うことも
   ひびのなかふっと浮かぶときがあって
   だけど、じゃあなんで必要なのか
   その明瞭な理由がないままの求めだった

   それがこの時、自転車を漕いでいたら
   静かにぴかって、自分の中から理由が瞬いて
   それは、今が完全に幸せだとして
   もうこれ以上の幸せはもちきれん、
   ってなっているときに
   その手に余る幸せや持っているすてきなぶんを
   ほいってこれ美味しいよと
   渡せる相手がいたならば

   これ以上はもうころがり落ちてしまう
   満杯になったばけつに入りきらない
   林檎やみかんを
   満杯気にせずどんどんもいで
   相手のばけつにいれさしてもらったり
   もいださきからいっしょに食べたり
   未知の場所へ果物求めてでかけたり

   そういうふうな、100を越えるなにかを
   いっしょに食べたりわかちあったりできるような
   そんな人がいたならば

   今で充分なしあわせも世界も
   もっと未知や新たな側面を
   お腹のぐあいを気にしないで
   ぞんぶんに、感じたり、取り入れたりして
   そうして幸せがあふれても
   もうただ流れ落ちてゆくのではなく
   それが相手の喜びに結びつくのなら

   パートナーがいることで試みられる、実験
   今のところ未体験であり
   それを知りたくなった

   言葉にしてたらよくわからなくなってきたけど
   パートナーが欲しい理由
   この日とつぜんに
   自分のなかから表の思考へ
   ぼろっと現れたような感じだった

   でも今度は、
   どんな人とそれをしたいかは
   まだまだ、ぼやけてる。



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出雲大社


   珈琲館でモーニングを食べながら、
   父が朝の仕事から戻るのを待って
   10時頃、出雲へむけて出発する

   車中では出雲大社のことよりも
   お蕎麦をどこで食べるかということが
   いちばんの関心ごとになっていて
   途中のサービスエリアでるるぶを購入して
   そのなかから私と母の直感で
   田中屋というお蕎麦屋さんで
   お昼を食べること決める

   ナビの予測時間通り、お昼過ぎに到着
   まずはその田中屋さんで
   たくさんメニューがあって迷ったけど、
   いろいろ楽しめる割子そばをいただく
   前に別のお店で食べた時の
   出雲蕎麦の印象をがらりと変えてくれる
   とても香ばしくて、美味しいお蕎麦に
   お腹も気持ちもゆったり満ちた
   
   そうして、それでは、いざ出雲大社へ

   鳥居をくぐって、
   参道をゆっくり一歩一歩歩いてゆく
   この時点でもう、神在月の時とでは
   ほんとうにぜんぜん違う!としかいえない
   まったく印象の異なるエネルギーに
   景色すらまったく違って見えた。

   以前はもう、ぴーーーーん、、と
   糸がはりにはったような独特の緊張感と、
   空のがやがや大にぎわいのでっかい圧力が
   一気に空間一帯に存在してる感じだったのに
   このひの出雲は、もっとぜんぜんおおらかで
   神様が関節をのばすみたい、
   ストレッチして過ごしているような
   そんなオープンなやわらかい空気だった。

   本殿は、残念ながら改修工事をしてはって
   幕で覆われて建物見ることできなかったけど
   八足門の前で手を合わせていると、
   シンプルな言葉をもらえた。

   いつもであったら、
   自分に関するお願いや質問というのは
   ほとんどしないけど
   今回はせっかくだからと強い気持ちになって
   私の恋愛に関しての言葉くださいと
   お願いをしたら
   ぱぱぱと実践的な言葉がおりた
   そのなかでも、「力をぬく」の言葉
   うん、そうやわって、心に刻んだ。


   以前どの場所よりも強烈だった
   本殿の裏側にあたる場所に建てられた
   素鵞社周辺の、その圧倒的なエネルギーに
   もういちど触れることが
   今回何よりも楽しみだったけど
   こちらへも工事で立ち入ることができなくて
   離れた場所から、お社がある方へ体を向けて
   スサノオの神様、つながり求める
   
   今とこれからにおける意識交換のような
   私の宣誓、本当に真剣に、私は発して
   その宣誓の間、向き合い聞いてくださっていて
   そしてそのとき、言葉に対して返してくださった
   送ってくださったエネルギー
   しかとありがたく受け取り
   この瞬間だけではない
   今行ったことは
   これからもの約束なのだから
   これで後はなにもしなかったでは、
   もう私は次にあわせる顔がなく
   会えなくなってしまう
   だからも理由にして、
   なにがなんでも、動くんだ。

   エネルギーはふくふくに
   満ち満ちてお参りを終える。


   参道を抜け鳥居を出てすぐの所に
   ミニチュアサイズに境内を復元した
   出雲大社の展示場みたいなのがあって、
   そこには
   一説では高さが100メートル近くもあるという
   古代の出雲大社をイメージして作られた
   大きな模型が置かれていた
   古代出雲大社

   実際はどんなふうだったのかみてみようと
   模型を眺めながらアカシャにアクセスすると
   そこにあったのは、もっと全然地上に近い高さの
   高低差は言われているみたいではないけども、
   橋の横幅はかなり広く作られた
   古代の大社の様子、ビジョンで浮かんだ
   

   そのあとは、お土産屋さんの通りにあった
   おぜんざいのお店で一息ついて
   そしたらもう日も暮れかけ始めたから
   岡山へそろそろ戻ろうということになって
   途中蒜山のサービスエリアでお土産を買って
   そうして夜の7時すぎたころ、岡山へ到着

   あずけていた新しい家族のニャーを車にのっけて
   途中ボリュームが半端のないカフェで夕食を食べて
   そうして家に戻ったのが9時すぎ。


   ざざざと記して、
   大事なことはほとんど記せてないけども
   このひのいちにちは、
   私にとって、家族にとって
   鍵の日になる
   いち日だった。
   先に起こる一歩のために
   サインの重なり、一斉に示されたような
   そんないち日だった。

   そう!一瞬だったけど
   大山の上空、むちゃでっかい
   クラウドシップを見た!!
   まさに写真で見るような感じで
   あれは間違いなく、と思いたい!
   


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次なる準備


   おじいちゃんの一周忌に参加できず
   せめてお墓参りだけでもと
   ひさしぶり、ぎっくり腰になったあの時ぶりに
   実家へ戻る

   おじいちゃん、ご先祖様の眠るお墓は
   明るく静かな空気の中にあって
   おじいちゃん自身は、
   お墓にはそのときいなかった

   お参りを終え、
   お菓子やお花がいっぱいにかざられた
   お仏壇の前に座り、手をあわせる
   そこではしっかりとつながりがうまれて
   どうやらおじいちゃんは
   次の人生の準備で忙しそうだった

   とても興味深かったのは
   次に生まれる予定の人生の
   誕生から青年あたりまでの情報を
   おじいちゃん、私に見せてくれた

   また日本の男の人に生まれるようだった
   おじいちゃんの大人になった姿は、
   なかなかに好青年で
   次の人生、見ているこっちまでへえって
   うきうきの気持ちになるような
   そんなふうなビジョンで、
   あとはその入る肉体がいつできるかを
   待つだけの状態のおじいちゃんは
   今生命力にあふれていて
   やっぱり忙しそうだった。

   ゲリーの話では、転生までの期間は
   平均30年とあったから、
   おじいちゃんの場合は、私たちしだいで
   だいぶ早くなるのかもしれない
   
   
   お墓参りを終えたあとの数日は、
   ふだんノートでできない
   パソコン作業にどっぷり取り組んで
   そうするともう
   脳のあたりがざわざわストレスを感じてきつくて
   もうパソコンの仕事自分にはできないやと思った

   なんとかOSの入れ替えや
   ホームページの更新等
   しなければのことはできたけど
   ひさしぶりの奈義の自然、
   ほとんど感じることなく過ごしたのが
   もったいなくちょっと残念だった
   あぁけど一晩だけ、夜中急に目が覚めて、
   外に出たら星がぎらぎら、ほんとに奇麗で、
   それはよかった。流れ星も見た。

   実家にいる間、
   神戸で暮らしてる妹も帰ってきていて
   せっかくだから家族みんなで
   出雲大社へお参りにゆこうと
   父が提案をした。
   遠いと反対の声があがっても
   いく。と父は譲ることなくつらぬいた

   結婚の気配の糸一本もみえない私と妹に
   両親はもう神様に頼むしか他ないと
   こんな機会もなかなかないぶん
   出雲にゆく必要性を心底感じたのだと思う。
   当人たちはふらふら危機感も薄いままで
   ほんとうに申し訳のない限り、ごめんなさい。

   そして私自身は、以前神在月の時に参拝した
   神様でびっしり!なあの出雲大社上空の
   驚愕の様子やびりびりにはられたエネルギーが
   神在月でない今行けば、
   今度はどんなふうに感じられるのか
   それを見たい気持ちがずっとあった。
   そして、あの場所へまたゆけることがとても嬉しかった。



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   お話はともだちから聞いたり、本を読んだり、
   映画をみたり、ネットで知ったりと
   ダライラマ法王
   思うこと、感じることはあっても
   実際にお会いしたことは一度もなくて
   この日とうとう、講演会の参加を通して
   法王様、お会いすることができた

   前日の夜、チベットの活動を続けてる友だちに
   法王様のお話聞いていると眠くなるよと情報をもらって
   その意味は、
   たいくつとかそんなふうなことからではないと
   それはわかっていたけども
   自分が法王様に会うことで
   実際どんな体験が待っているのかは
   まったく予想も想像も、できなかった

   朝、靭公園近くのカフェでモーニング食べながら
   そのときにもう一度友だちから
   法王様に関する色んなお話を聞いて
   いよいよ心はわくわくで引き締まり
   そうして奈良へ旅する友だちと別れたあと
   ひとり南港へと向かう

   会場に着くと、前の方、なかなかよい席だったのが
   チケットを交換してほしいと女性の方に声をかけられて
   そうして移動した場所は
   関係者席のすぐ後ろ
   ステージにほど近い席だった

   代表の方の挨拶のあと
   法王様がステージに登場されて
   平和に関する講演が始まる

   法王様、そのひインフルエンザにかかられているというのに
   しんどさを感じさせないご様子で
   まっすぐに、ユーモアもたっぷりに
   言葉、語られ続けた

   そうして、知ることになったのが
   友だちから聞いていた
   眠くなるの言葉
   その意味が、ものすごくよくわかった

   インテックス大阪の
   あんなにも大きな会場全体を
   簡単に包み込んでしまわれる
   法王様のエネルギー
   その浄化と思いやりの作用だけでも
   自分の意識を保つこと、だいぶん難しいのに

   そうして発せられる、法王様の声が、
   もう、
   もうすごいとしか、いいようがなくて

   5月のアカシック専科で、
   ゲリーが教えてくれたことに
   京都の鐘の話があって
   
   京都の鐘の音は、
   日本人の集合意識と完全にチューニングするよう
   作られている為に
   その音は私たちのDNAに影響を与えることができて
   もしも5分間、完全に鐘の音を聞き続けたなら
   私たちの意識は分子に分解されて、プールになる
   そう言ってた

   チャクラにはそれぞれ対応する音があって
   その音を知れば
   チャクラのバランスを調整することもできるし
   そうなると音は、ただの音じゃなくなる。とも

   法王様の声は、まさに
   ゲリーの言う、京都の鐘の音と同じだった
   話されている内容を超えて
   声そのものの働きかけが
   自分の自我や思考パターン、集中力や受信力、
   もうありとあらゆる意識の層全体へと声は染み渡り
   どんどんと意識の粒は緊張から解放されて
   境界はなくなりもうあとは、
   氷が溶けて水に変わるみたい
   ぜんぶがばらばらとくずれて形はなくなって
   ひとつのまとまりになるような
   本当にちょっとでも気を抜いたら
   そうなってしまうような
   魔法のような声の作用を、体験した

   そうなると、
   意識を保つというのが本当に大変で
   もしも今いる場所が、
   たくさんの人のいる会場でないならば
   間違いなく私は服を脱いで完全に裸の状態になって
   広い場所にねっころがるようにして
   その響きを、全身に受け止めて
   ぐっすり眠りについたろう

   いやはや
   すごかった、ほんとうに。


   講演のなかで、
   若い人の、英語を勉強する必要性のお話があって
   この日も最初の方はリスニング!頑張る気満々でいたけど
   途中からは完全にあきらめて
   法王様のエネルギーと声を体感することに
   意識は切り替わってしまってた。
   でもやっぱり、このときも
   自分の中で、英語力の必要性というのを
   感じずにはいられなかった。

   どうしたもんだろう。
   どう取り組み始めたらいいのかな。
   ちょっと考えて、実際動きだしたい。


   このカンファレンスがあること教えてくれた友だちに感謝
   参加できてよかった。
   本当に分解しかける体験、今までで初めてのことだった

   そして、きっと初めてではないのかもしれないけど
   法王様に、今このとき、お会いすることができて、
   本当によかった。

   法王様、愛が人になった、
   愛そのものの かたでした。



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鞍馬寺の天狗会議 つづき


   奥の院へと進む道
   この日は私たち以外にも
   たくさんの人が歩いていた

   ごつごつした道をゆきながら
   昨晩みたビジョンを今に調整しなおすと
   もうその場所には
   たくさんの天狗さんや
   男性性のエネルギー存在達も集まって
   なにやらわいわいしてるのが見えた

   以前道中を導いてくれた
   天狗さんの不思議な笛の音は
   この日聞くことないままだったけど
   やっぱり新たな体験は待っていた

   前回その笛の音がぴたりと鳴り止んだ場所
   僧正ガ谷不動堂に着く頃に
   地からの強烈なエネルギーが
   ルートチャクラから垂直に突き抜けるみたい
   体のなか流れ込んできて
   まるで地震のように足下がぐらぐらした

   このお堂前あたりに集ったエネルギー存在たちは
   お釈迦様が池の上から地上の様子を眺めるように
   その場所に存在する見えないスクリーンを通して
   今における地上の現状と
   集合意識の状況を
   細かに眺めては
   先のビジョンで感じたように
   みんなであれこれ
   話をし合う場所なのだと情報はきて

   そうしてちょうどその話し合いが
   今のこのときにも行われたのち
   彼らが今回の会議を通して至った了解というのは
   ”女性性の復権”、であり
   彼らが待っていたのは
   彼らと同じふうなエネルギー存在ではなく
   地上における女性性の復権を担う
   人間存在であったこと

   日本の地からも、それを行う人間存在の必要性を
   天狗さんを通して知った

   男性性の性質をおびてそこに集う存在達は
   天照大神が現れるのを待つのではなく
   今回それを行うのは
   私たち人間自身であり
   女性性を放射する太陽存在として
   女性性の復権、その役を私たち人間が担うことで
   シフトは現実においても促進される
   そんな見解のもとに
   
   そうして彼らがこのとき行おうとしていたのは
   縁のある魂、
   来る人を待ち、その出会いを通して
   それはあたかもイニシエーションのような儀式的な様子でもって
   各々の魂に存在する女性性を解放する為の影響を与えるよう
   強烈なエネルギーを流入させることなのだとわかった

   その恩恵を受ける意味を内に確認したうえで
   不動堂の前、シンボルの中心から少し離れた場所に立ち
   足下から頭上へと
   エネルギーが流れることを
   自分の中で許し、内を開いた

   先ほどに本殿の前の三角に立ったときに感じた
   天と地を繋ぐ流れにクロスするような
   地と私を繋ぐエネルギー
   体も魂も震える

   大杉さんの言葉の意味がこのときつながり
   轟を体感で垣間みた。
  


   そこでの体験が一段落して
   友達と相談し、奥の院をぬけて貴船まで歩くこと決める

   奥の院においては
   特別な何かを感じたことはなかったけれど
   その先、貴船へ向かう山道を歩いたことがなかったので
   新鮮な想いで一歩一歩進んでゆくうち
   ともだちの「走ってもいいかな?」の言葉がボタンになって
   残りの下り道、修験道がのりうつったような
   ものすごい集中力でもって
   山道を駆け下り駆け抜けて
   それがもう夢見たいに気持ちよくて
   新たな山道の楽しみ方を知る
   すっごい、楽しかった!


   貴船はやっぱり穏やかで
   鞍馬から貴船のエネルギーの変化
   そのぜんぜん違う感じを
   歩いてく空間単位で感じ取れたのも
   それもまた楽しかった

   駅までのバスを待つ間、
   友達のくれたチョコレートとカカオの恵みで
   お腹を満たして、叡電乗り込み出町柳へ戻る

   下鴨神社に参拝後
   出町ふたばの豆大福を河川敷でほうばって
   そのあと四条へ移動して
   ソワレでお茶する

   私の幸せな京都の過ごし方
   普段遠くに暮らしてる友たちと
   共に共有できるとは思っていなかったから
   すごく嬉しくて、むちゃむちゃ幸せだった。

   鞍馬でのエネルギーの交流に
   みんなで参加できたこと、大感謝

   女性性の解放、具体的体現は
   いまだ少しもビジョンがないけど
   内に起こる変化を受け入れて
   あるがままに、進んでゆきたい



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鞍馬寺の天狗会議


   関東に住むともだち二人とともに
   鞍馬へ参る   

   前日の夜、呼吸のワークをしていると突然
   ビジョンが浮かんだ

   鞍馬山の頂上に、巨大な母船と
   それを囲むように小型の船が   
   何機も集まりただごとでない眺め  
 
   時をあわせるように
   サナトクラマのエネルギーも
   今お山にどっしりと存在することを知って
   俯瞰から視点の位置を変えようと
   どんどんズームしてゆくと
   奥の院にあたるのか
   鞍馬山の山中のある場所に
   クマラとはまた異なる、
   固まりというよりも、
   独立した”誰か”が
   じっと何かを待つようにして立っている

   鞍馬に行くたび
   懐かしくて不思議な体験がいつも待っていて
   今回とんとんと決まった
   みんなでゆく鞍馬旅も
   きっとやはり、必要な決定なのだと
   京阪から叡電へ乗り換えた道中
   しみじみと感じ
   待ってる人へ、想い巡らした

   本殿へと向かう坂道は
   いつも以上に軽やかで穏やかで
   とっても気持ちがよかった

   途中に立ち寄った由岐神社では
   いつもなにかしらの言葉をくれる
   大杉さんがいて
   この日受け取ったのは
   『轟をもって地につなぐ』
   確かそんなメッセージだったと思う

   どうとらえてよいのかわからずに
   由岐神社の本殿にたち
   言葉の意味を訪ねてみても
   どこかへちょうど出かけておられて
   不在のデータしか、知ることができなかった

   坂道をどんどん進んで
   四脚門をくぐった頃から
   後ろに天狗さんの存在を感じるようになる

   天狗さん、本殿をすぎてその先をゆく間も
   ずっとそばで私たちを見続けていた

   本殿に到着して
   六芒星の中心、三角に立つために
   列に並んで待っていると
   三角の真上、上空に浮かぶ雲が
   三角の空洞をつくるかたちに変形して
   そのなかに、ホログラフィックなシンボルが浮かんだ

   ともだちとじっとそれを眺めて
   静かに興奮をシェアして
   いざ自分の番、六芒星の真上に立つときは
   透明なパイプの中にいるような体感だった

   私は気づかなかったけど
   ホログラフィックなシンボルは
   そのとき山の左奥上空にも浮かんでいたと 
   友達に教えてもらった

   本殿でお参りをすませ
   さてなにが待っているのか
   奥の院へ向かう



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