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新しく☆
   
   new blog
   にじのわの日記
   どうぞよろしくお願いいたします☆

   http://nikki.mahotukai.com



鳩のタマシイ


   2006年から記録を続けてきた
   鳩のタマシイ。
   日々のこまごまや
   3匹のこと
   美しいもの
   美味しいもの
   出会いと喜び
   そして何層にも覆われた
   タマネギの皮を
   とっぱらってゆく道の記録

   続けてきたこれら記録を
   読み返すことはほとんどなかった
   ここにこういったことを綴るのは
   綴ることに意味があったんだと思う

   言葉にはできない体験の連続を
   なんとか文章にかえてくことで
   体験は整理され、
   自分の内に消化、吸収されて。

   ただ、ここに書ききれない体験も
   ここ数年はどんどん増えていて
   それは文章にしずらいというより
   余りにも個人的な体験すぎて
   読まれることを前提に
   このブログを通して
   体験を整理することよりも
   まとまらなくても
   漠然としたエネルギーそのものを
   理解じゃなく、
   流れのままに
   静かにカタマリを吸収していく方が
   なんだか自然な気がして
   気づけばもうここに
   自分の個人的な体験を記録することの
   必要性を感じなくなって。

   2007年
   ゲリーに葛藤を手放す必要性を教えてもらい
   同じ年、如月マヤさんのセミナーで
   自分の魂の目的を知り
   アカシックレコードに
   初めて意識的に触れることができた

   そうして08、09、10年と
   自分を覆うあらゆるフィルター、
   それを形成する葛藤執着期待信念操作自己憐憫...
   もろもろもろもろと
   ほんとうにただひたすら向き合い続けて
   皮をはぎつづけてきた

   みないふりをし続けてきたものを
   あえて目の前につきつけるくらい
   がっちりそれらと向き合う作業は
   青汁を飲むのとにているかもしれない
   美味しさを楽しむために飲むのではなく
   体の中をきれいにするために飲む
   その味はただひたすら苦かったり
   へんてこでうえっとなったりね。

   けど飲み続けることの恩恵はすさまじかった
   どんどん、ほんとうにどんどん
   自分というのが、軽くなって
   自分がなにかをわかってゆくほどに
   自分がなくなっていった
   恐れは恐れではなくなり
   あるのは状況ではなく
   どんなときもフラットで広大な
   自由、そして知ってる。の信頼

   自分との対峙の過程
   そして限りないサポートの記録
   鳩のタマシイは
   更新は今日でおしまいにする。
   ここに記してきたような
   自分の個人的な体験は
   ツイッターの方で
   呟いてゆこうと思う

   そうして、これからは
   自分の体験を消化する目的ではなく
   spiritual reading
   NIJINOWA として
   新しいブログを設け
   セッションで出会えた方や
   にじのわのホームページに
   いらしてくださった方に向けて   
   アカシックから得た情報や
   集合意識の傾向と情勢
   ゲリー、マヤさんから受け取った教え
   自分の内に今響く真実など
   記事にしてゆきたく
   今まではおさえぎみだった
   確証なき目に見えない体験も
   これからはぞんぶんにばりばり
   ”記録”として残してゆこうと思う

   NIJINOWAの活動とあわせて
   言葉を外側へ向けて発信するということ
   今年は意識的に取り組んでいって
   その展開を体験してみる。
   未知を楽しむ。
   保守的で変化苦手な
   お牡牛座の性質、懐かしむくらいに。
   
   鳩のタマシイ、
   今までお越しいただいて
   クリックや感想伝えてくださったり
   ほんんまほんま、感謝でございます。
   ありがとうございます。



   Spiritual Reading
   NIJINOWA

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海のひと粒 革命
 

   世捨て人の気配がすると
   人から言われるだけでなく
   自分でもそうだなと思うところなのに

   自分が完全に、今以上に
   とことんどの場面や瞬間においても
   自分である、という状態を貫けば
   世捨て人からさらに進んで
   変人の気をまとうであろう
   けっこうな予感がしていた。

   今はわたしというのを
   だいぶ理解できるようになったけど
   理解できてる自分というのは
   結局はまだ、社会や人間関係という枠組み、
   入れ物である器こみのところてん、
   みたいなもので
   器がなくなれば、
   ところてんはぶわーっと広がり
   なんだかわからない状態になる。

   社会の中で、
   人と関わりをもちながら生きていく為のわく
   それをとっぱらい生きるというのは
   その人の目に自分がどう映るか。
   からも、完全に離れることで
   まだどんなときであっても
   完全にそうしては、生きてはいない。
   どこかで雰囲気や状況を見たり
   ルールや概念、自分を繕うことを
   第一に優先する生き方

   人との関わりにおいて
   バランス、調和、フラットさ
   そんな基準を第一にして
   そして自分が、
   社会のなかで、人の目の中で
   異質に映らないことを
   要所要所で
   これでもだいぶ、意識しながら
   自分を行う生き方をしてきた。

   でも、ここへ来て
   内側の声や思いに対し
   常に正直に
   そして表現することを
   人との関わり合いのなかで
   いかなるときも
   許していったとしたら
   そしたらこれからは
   どんな具合になってゆくのかを
   見てみたい気持ちが今
   勝ってきた。

   自分の本当を
   それ以外はなく
   それを隠さず
   ひっこめないで

   いっさいの遠慮なく
   どう思われるか関係なく
   ただでてくるままに
   自分の本当だけを
   表へ出し続けたとき

   誰かにはその自分が
   心地よくなかったり
   うっとうしかったり
   違和感として
   映るかもしれない
   そうは思われたくない気持ちが
   ずっと意識の側に
   がっしりとあった

   けど、
   もうそれでもいい

   もう、わくというか
   たがをとっぱらって
   ぶらぶら裸で
   世界を感じたくなった

   目と心に映るものを
   わきあがる愛、
   内に響く真実
   ただ全身全霊で感じて
   それを表現に還元する
   外へも内へも、
   いっさいをひっこめることなしに   
   瞬間瞬間を

   たくさんの人の必要に叶う自分でなくても
   その具合が、たくさんの人には
   心地よくないものであっても
   違和感を感じさせるものであっても
   そうして周りに人がいなくなったとしても
   それでもいい

   裸でいる自分を
   それでよしと
   そのまるまる自分を、よしとして
   そんななかでともに
   喜びや美しさをシェアできるひと
   たった一人でも、存在するのなら
   きっとそれこそが
   私にとっての、
   最大の幸せだから。

   その最大の幸せは、
   現実、今にあって
   家族、仲間、存在たち
   私の毒々しさものぐささネガティブさ
   でてくるままをさらけだしてもなお
   まるままをみつめ
   いてよしと、伝えてくれる
   本当に、本当に、ありがたい

   星の王子さまのなかでの
   ばらであり、星であり
   汲み上げたた水、が
   わたしには、在る

   きっとみんな、
   思っているよりも
   大丈夫なんだと思う

   自分の心が真実と感じていることを
   外側へ向けて、それを示す
   それが、相手を傷つける為の意図でなければ
   暴力以外のほとんどは
   表現してしまっても
   悪いことじゃない。
   誰も、悪くない。

   おかしいと腹から思ったら
   それを真剣に表情に出したり
   言葉にして伝えるのも
   とても愛しくなって
   抱きしめたくなったら
   抱きしめることも
   
   その人自身を知っている人は
   その人をその表現のひとつひとつで
   いちいち判断して、評価はしない。

   その人自身を知っていて、
   その人自身を愛している人は
   世界にかならず、かならず
   存在しているのだと思う。

   だから今自分はいるし、
   みんなここにいてるということは
   そういうことだと、思う。

   ありのまま全てを
   加減なく出しちゃったとしても
   きっとけっこう大丈夫なんだ。

   そうして生きて
   もしかしたら
   ひとりになって
   寂しさや虚しさやで
   ぜんぶが覆われることになったとしても
   シンギングドッグのように
   仲間を求めてお腹の底から心が吠えたとき
   自分の声が届く場所
   かならずにこの世界のどこか
   つらかってんって泣ける場所が、
   一緒にいれて幸せって笑える場所が
   必ずどこかに、みんなある。

   自分を隠さず出してくことの
   自由と喜びは
   うまくゆけば
   さらにばい
   相手との
   しんからのわかちあいをも
   可能にしてくれるしね。
   共鳴という、かたちで

   いかなる瞬間も
   響く真実をただ尊重し表明する
   どれだけリスクが大きくても
   踏み込む価値は
   きっともっと大きい

   内側、意識の中から起こす
   静かな大きな革命

   いざ。
   変人の道へ。
   心定まった。
   


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   珈琲屋さんのカウンター席
   紅茶を頼んで
   パソコンを使った勉強をしていたら、
   私の左側、隣の席に
   母と娘、親子らしき二人が座る。

   娘さんはベーグルを食べてる間、
   携帯をぼちぼちと触っていて
   食べ終わってからも、
   ずっと携帯の画面を見ていて
   その間、お母さんは
   本当に遠くを見る目で
   娘さんの横顔を見たり、
   手元を見たりしていた

   30分くらい座ってはった間
   ひとことふたこと、
   お母さん、娘さんに言葉をかけたけど
   ひとことの返事のあと
   そこから会話は始まらなかった。

   別に喧嘩しているからとか
   どちらかの機嫌が悪いとか
   そんな理由は特になく
   そうやって、
   一緒にご飯を食べていても
   会話をしないのが
   普通の状態であるのかもしれないことが
   でも実際はそれが普通になっている状況を
   あたりまえじゃなく感じているんじゃないんだろうか、
   特にお母さんの方、とか

   普段は他の席の人が
   どんな様子でも、
   そんなに気になることってほとんどないのに
   となりに座る親子のことが
   なんでだかもうただ気になって
   ついつい意識が向いてしまった

   お母さんと外食してる時間
   携帯に意識を向け続けた彼女の
   彼女が今いる目の前の現実の意味
   その希薄さが、
   私の中で、衝撃的だったのかもしれない
   
   誰かといっしょにご飯を食べたり
   ほっとお茶を飲んだりして過ごす時間は
   良い悪い関係なく、
   意識やエネルギーを使うもので
   そいった時間が
   人を今とつなげる
   今と意識をつなぐ為の
   日常に組み込まれている
   大事な、営み、というのかな、

   誰かといっしょにご飯を食べたり
   お茶を飲むという行為は
   その人の意識を
   今にしっかり根付かせて
   今を感じるという感覚を
   内側から発動させる為に
   大切な役割をもっているのだと思う

   食べるって、
   栄養の摂取や趣味や娯楽だけじゃなく
   そういう意味でも、大事な行為だ

   何を食べるか、は健康にも心にも
   密接にかかわってくるものだけど
   どういう気持ちで食べているか、も
   同じくらい大切に思う
   
   娘さんがお母さんや食事より
   携帯電話に集中していたのも
   たくさんのもろもろが重なって今にあって
   それは別にそれで、
   私がどうこう思い巡らすことでない、けど

   そのときの、お母さんの目は
   真横に娘さんは座っているのに
   彼女は別の場所にいることを
   表情からではわからないところで
   はっきりと映しだしていた
   
   目は語るというけど
   語るその言葉は、
   切なかった。
   


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11月21日


   どうしたってなかなか脱げなかった
   衣服でいうと下着にあたる
   ある感情のかたまり
   着ていることで得られる安心感こそ
   それを着続ける充分な意味があり
   自己のアイデンティティの一部として
   重要不可欠なポジションを担い続けてきた。

   けれども下着をつけ続けるかぎりは
   それは自分の素肌を覆い、
   肌を締め付け、
   それがないと落ち着かなくなる
   依存的な性質をおび

   だからわたしは
   それすらも脱ぎ捨てて
   完全にすっぱだかの状態で
   自分を体験したかった

   一度完全にすべてを脱ぎ捨てれば
   下着も衣服も身につける必要が特にはなくなって
   風も光も
   全身肌で感じられるようになるんじゃないかと
   そんなふうなイメージが、
   明確にあったから

   とにかく、脱ぎ捨てたくてしょうがないのに
   どうしても脱ぐことのできない
   最後の一枚と、
   11月21日の朝
   内側の世界の中で対峙した

   すこしも場所を譲る気配すら
   見せることのなかった感情の固まり
   それと向き合い、それに触って
   相撲をとるように、
   ごごごとエネルギーの動きがあって

   そうして
   それはしばらくして私のエーテルから
   天に召されるみたいに
   空の方へと上昇して、離れていって
   その感情の固まりから
   私はとうとう、自由になった

   ガイドの支援もあった
   私自身の覚悟もあった
   すべてが、この朝のタイミングに動員され、
   それが行われたことで
   私はすっぱだかになることができた

   その朝の爽快感は
   まさに裸になって光を浴びて
   なにも思考にひっかからず
   感情は無邪気に開かれて
   瞼を閉じると優しさがあふれ
   本当に自由で

   裸を通して得る皮膚感覚を
   私は存分に味わった
   
   
   
   

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